■
https://allreviews.jp/review/901
上記リンクは俵万智さんによる火垂るの墓への書評なんですけれど、めちゃめちゃ共感したので貼っておきます。
『火垂るの墓』も、「こんなにせつなく一生懸命生きている兄妹を死なせた戦争は悪い」という文脈よりも、「戦争という悲惨な状況のなかで、こんなにせつなく一生懸命生きた兄妹がいた」という文脈で読むことが、大切なのではないかと思います。その結果、作品によって戦争を二次体験した私たちは、平和の重みをも知ることができるのでしょう。
ここの部分なんですけど、「この世界の片隅に」を見たときにまさしく感じたことでした。あの作品は戦時中にあれほど強く清廉な心で暮らした家庭があったということしか我々には伝えておらず、決して戦争はいけないことだとは伝えてないんですよね(もちろん観客には最終的にそう受け取る自由があるのですが)。あの世界に浸れば浸るほど、あの場で上映されたものは純粋に人の生活であり、人生そのものなんだと感じました。我々はその生活をその場にたまたま生えてた雑草的な立場から覗かせていただいてたに過ぎないんですよね。
ラストのシーンでたくさんの家の光が灯るのを見てこの物語で語られていた生活が決して特別なものではなく、他の家庭においても同様の生活があったことがわかる作りになってて、さらにこの構図が際立ってて、これです…と思いました
俵万智さんの語彙をダウンサンプリングして自分練りの感情を山盛りにして書くとこんな感じでしたと言う記事です
勝手にふるえてろ
見ました。
明日読みます。
本当にいい映画でしたね…本当に…
理想と現実のギャップをテーマにした作品をたくさん見ようね
松岡茉優が本当によかったですね…
長いセリフもスカッと話すし、気持ちのいい合いの手を次々入れるし、ぶつぶつ話したかと思えば思いっきり泣いてファックと叫ぶ!
顔もよければ演技もいいぞでヨシカというキャラと完全に一体化…本当に好き…これからも無限にお芝居してるところを見せてください
最初のシーンで金髪店員と向かい合って話しながら、
「本能のままにイチと結婚しても絶対幸せになれない。結婚式当日もイチが心変わりしないようにって、野蛮に監視役続けてなくちゃならない、そんなんで幸せなんて味わえるかよ。その点ニならまるでひと事みたいにお式堪能できちゃう。ドレスのままチャペルから何だか知らんが丘駆け下りてわがままにニのこと放ったらかして、波と戯れたりデコルテあらわなドレスで肩上下させてハーハーしたりして花嫁タイムをエンジョイできちゃう」
と割と冷静に自身の恋愛について語ってるんですよね…金髪に触ってみたかったと自身の理想と向き合い、自身の立ち位置について理解、達観している この映画の理想に溺れるのは終えて現実と向き合うという話をよく表しているのでは~と思いました。
そこからのズガガガガガガガガでタイトル入るのがめちゃくちゃ気持ちいいですよね大好き…
途中のミュージカルのシーン本当に良かったですよね…ずっと腹筋に力入れて椅子に体を押し付けながら見てました。楽しそうな音楽と闇の深さが同時にガッと提示されるのカタルシスがでかくて…好き!!
最後は勝手に震えてろと言いながらキスするシーンでしたが、過去の自分との決別、かつて世界を恨みながら一人で震えてた玄関でっていうのがね~~~~~松岡茉優~~~~~~~!!!!!!
いろいろ探してたら松岡茉優自身が語ってくれてる動画があったのでありがとうございます…
ありがとう松岡茉優~~~~~~~!!!!!!
VA-11 Hall-A
RPG
昔からRPGではラスボスの直前でなぜか飽きて手が止まるタイプだった。
違うかもしれない。そういう文章をよく見るからそう思い込んでるだけかもしれない。そういうのかっこいいな程度の感情に任せて記憶が変わっているのかもしれない…こっわ…
とにかくRPGのラスボスの直前で飽きるような性格だった。そういうことにする。
研究でも準備している段階はとても楽しいし、手もよく動くが、いざデータが取れるその日になってみると途端に憂鬱になる。原因はよくわからない。
他の人に手伝ってもらっているから失敗すると申し訳ない。というのが建前で、本音はここまで頑張ってきたものがうまくいかなかったときに今までの努力が無駄になると感じてしまうからかもしれない。自分がところどころ手を抜いてきたのがばれてしまうとかかもしれない。
どっちにしろ何か物事が進むとなった際に急に自分に自信がなくなることが多い。
きっと普段はなんとなく自信家を気取ってへらへらしながら適当に物事をこなし、いざその結果が発表されるとなると途端に今までの適当さ加減を思い出し、自身を持つべき場所を見失うからだろう。
普段から緊張感を持って物事に取り組んできた人のほうが本番では自信を持って笑顔でいられるのだろう。
だからつまり普段からもっと考えながら緊張感を持ちながら過ごせってことだけど、そんなん疲れるでしょと思ってへらへらする。
そろそろ変わるときなのかもしれない。変化のとき、物事が進むタイミングは常に恐怖だ。今も怖い。
人生がRPGだ!みたいなノリになっちゃったけど人生のラスボスってなんなんですかね。やっぱ金か。
頑張りすぎてみたい
先輩から頑張りすぎるな、と声をかけていただいた。
余計な御世話だと思ってしまった。
なぜならまったく頑張ってなかったから。
実際優しい声かけだと思うし、普通言われればありがとうございますと率直に思える言葉だと思うが、余計なお世話だった。
そんなに頑張ってないんで大丈夫ですよと返したが、おそらく他の人のほうが頑張ってるんでそちらに声をかけて上げてくださいみたいな返答のほうが良い子だったと思う。
余計なことを言われてそんな急に返せるかバカ
余計なことばかりでこの世は成り立っているらしい。いろんなところでそういった文章を読む。
似たような文章をいろいろな個所で見かけることが、この主張を支持していることになるのが奇妙な感じがする。というかずるい。
余計なこととは何だろう。例えば頑張りすぎるなは余計なことだろう。頑張りすぎれる人なんてほとんどいないでしょ。いるの?
平原綾香は愛を学ぶために孤独があるなら 意味のないことなど起こりはしないと言っていた。余計なことにも意味はあるらしい。
つまり俺にも意味があるらしい。俺によって誰かが愛を学ぶのだとしたらそれは奇妙だ。というかずるい。俺にも学ばせてくれよ。
余計なことにも意味はあり、それのおかげで世界が成り立っているのかもしれないが、その余計なことは世界に参加できるのだろうか。世界の主人公たちに使われ、捨てられ、忘れられて終わりにならなければいいなと思う。
そうなった方が良いのかもしれない。